今回からは「地獄」
英語で聞法、前回まで「念仏」(the Nembutsu, chanting the name of Amida Buddha)と題してご法語を味わってまいりました。
(※英語で聞法「念仏」1)
その際、下の法語をご紹介しました。
「念仏とは自己を発見することである」
The Nembutsu enables you to discover yourself.
今回から7句の法語とともに「地獄」(Naraka)と題して、発見される自己(本当の自分、ありのままのすがた)について観ていきます。
I am reminded of my unscrupulousness whenever I worship Amida with my hands together in gasshō.
真宗教団連合『法語カレンダー2022年9月』より
私は鬼だった!?
こちらの法語は「念仏とは自己を発見することである」を言い換えたものといえます。
「念仏」→「手を合わせ仏さまを拝む( I worship Amida with my hands together in gasshō)」
「自己を発見する」→「わたしのツノを知らされる(I am reminded of my unscrupulousness)」です。
「念仏」は浄土真宗において、阿弥陀如来のご本願に由来する「称名念仏(chanting the name of Amida Buddha, 南無阿弥陀仏と口にとなえる)」を指しますが、ここでの英訳では“合掌„という身の行い(身業)に焦点をあて「with my hands together in gasshō」と付されています。
「ツノ(my unscrupulousness)」とは鬼の角のことです。つまり「知らなかったが私は鬼だったのか」と気が付かされるというのです。
鏡をのぞくと、手を合わせた自分の額に鬼のツノ。。。なんだか想像したくない画です。
そんなことあるのでしょうか。
((後)につづく)