前回(「地獄」4/7(後))もう一つの地獄(Another Path in pain)のかたちとして、感謝を一切覚えずどこまでも不足不満(Neither thankful nor satisfied)を訴える貪欲(greed)から生まれた “餓鬼(Preta)„についてお話しました。
今回、まずは下のご法語をご覧ください。

It is the self among all things that we most adhere to.
真宗教団連合『法語カレンダー2020年6月』より
「地獄」3/7では、黒縄地獄に堕ちる原因は人の執着する心(the intention to seize(※1) things)にあるとご紹介しました。そして何より執着するのが自分自身に対して(the self that we most adhere to(※1))であると、このご法語でお示しです。
執着(しゅうじゃく)
仏教では“しゅうじゃく”と読み、一般的にいう “執着(しゅうちゃく)”とほとんど同義で、ものに強くとらわれることをいいます。執着は仏・菩薩ならぬ者が縁起の法(※2)に昏く(※3)、無我(※4)をさとらないために為す行いであり、執着には常に失う不安や失った悲しみ・憎悪といった苦しみが伴います。
そのため仏教では執着することを止め、欲心を手放すことを勧めます。「少欲知足(よくすくなくしてたるをしる)」というように、既に与えられたもの、そして出遭う全てが有難く、貴重で尊いのだと知ることの大切さを教えて下さる(前回参照)のです。
互いに害し合う浅ましきは
「何よりも執着せんとするものが自己」。。他者も含めて何よりもということでしょう。であれば、人が自己中心的(selfish)であることを換言したものです。各々の自己中心性ゆえに互いに他者に譲ることをせず、占有できないとなれば腹を立て争い、命さえ奪い合う。。
平安時代中期の高僧、源信和尚はその著書『往生要集』において、こうした浅ましい存在として「畜生(Animals )(※5)」を挙げておいでです。
次回後編は地獄・餓鬼とともに代表的な苦しみの世界、三悪趣の一つ「畜生趣(the world of animals)」を紹介します。
(「地獄」5/7(後)につづく)
(脚注)
※1、adhere to とともに“執着”の英訳。seizeは「取り上げる」「占有する」の意であり、adhere to は「接着する」「(ルールなど)則って離れない」の意。“執着”が対象物を占有したいという我が欲心の現われであり、狙い定めて離れぬ粘着性も有することを鑑みるとどちらの訳も妥当である。
※2、因果の道理(the doctrine of Nidana)のこと。釈尊がお悟りになったこの世の真理。一切の物・現象は直接原因である「因」と間接原因である「縁」によって成り立っており、因縁が生滅・変化すればその結果である物・現象もまた生滅・変化する
※3、真理に昏いことを愚痴または無明、おろかさという。サンスクリット・パーリ語でMoha。代表的な煩悩である貪欲・瞋恚とともに三毒と呼ばれる。根本的な煩悩である。
※4、①すべてのものには実体がないこと。仏教の根本真理“三法印”の一。The doctrine of no-self. Nothing exists with no changing or parmanent self②自我に対する執着(我執)が無いこと
※5、サンスクリットでtiryanc(ティルヤンチュ)。詳細は次回述べる