英語で聞法「念仏」3(後)

Although it is me that utters and hears the phrase “Namo Amida Butsu,” actually it is the call of my parent, Amida, promising to guide me to the Pure Land.

真宗教団連合『法語カレンダー2022年3月』より

「念仏」3 (前) からのつづきです。「念仏」3ではお念仏がどう自己を発見することにつながり、阿弥陀如来が何とおよびであるか、という2つの問いをうかがっています。
前回は“阿弥陀„さまの親たるゆえんを、詠者の立場にたって掘り下げました。

それでは「つれてゆくぞ(promising to guide me to)」について。
どちらに?それは英訳文末に明記してあります「the Pure Land(極楽浄土)」です。

アミダさまがこの私を極楽浄土へつれて往く(生まれさせる)と仰る。
それはつまりアミダさまは私を、“いまだ浄土に生まれておらず„ かつ “浄土に生まれるべき者„ とご覧になっていることが窺えます。
この如来の智慧の眼を通してこそ、我が本来のすがたを目の当たりにすることができる。言い換えれば、仏法の鏡の前に立ってこそ(use the mirror of the Buddha Dharma to look at myself)、自分は本当の自分になることができるのです。

お念仏は私ではなく阿弥陀如来のおはからい(the Vow and the Practice of Amida Buddha)であったと聞かせていただけば、“自己の発見„ という私の身に起こる出来事は(私にとり二度目の誕生ともいえるくらい大変革ではあるけれど)決して大げさなものではなかったのです。

(「念仏」おわり)

次回以降について)
私の生き方、いのちのありようと深くかかわるのは「地獄・餓鬼・畜生・(修羅・人・天)」といわれる世界です。
いまだ往生を遂げていない私たちがかつて在りつづけ、かつ現在も在る世界だと。
どのような世界なのか。うかがって参りましょう。

Copyright © 浄土真宗本願寺派 大誓寺 All Rights Reserved.