英語で聞法「地獄」7/7(中)

Ahh.., no matter where I am, it is because I am always embraced in Amida’s compassion.

真宗教団連合『法語カレンダー2021年8月』より

「地獄」最終回 中編

「地獄」シリーズ最終回では「地獄」6/7回と今回のご法語をうけて、以下3点のサブテーマを設けて考えております。
 1、なぜ私は道の踏み外し、自他を苦しめてしまう(地獄を生きてしまう)のか
 2、なぜ道を踏み外した先(地獄)までもが仏の道であるのか
 3、なぜ地獄を生きる私がすくわれる(成仏できる)のか

 「地獄」7/7(前)編では阿修羅王の物語(The story of Joshin the asurendra)を例に、サブテーマ1を見てまいりました。(中)編はサブテーマ2および補足として“阿修羅王のその後(A sequel to the story of the asurendra)„についてです。

2、なぜ地獄までも仏の道

 なぜ踏み外した道の先まで仏の道なのでしょうか。それは阿弥陀如来という仏さまが「生きとし生けるものすべてをすくう(※1)(save all sentient beings)」智慧(prajna)と大慈悲(the unobstructed compassion)を備えた仏さまだからです。別の表現をすれば、「限りなき光と命のほとけ(※2)(The buddha with measureless light and life)」さまだからです。
 道を踏み外さずにはおれない存在(鬼、畜生、餓鬼、修羅)がおり、それらをすくうには、阿弥陀如来は誰ひとり取りこぼさない大慈悲を備えた仏である必要があり、またたとえ地獄であっても照らす光と、たとえ釈尊のような仏がおられない時代であったとしても存在しつづける寿命を持った仏でなければならなかったのです。
 

補足

後日談‐浄心阿修羅王のすくい‐
(A sequel to the story of Joshin)

 前回お話した阿修羅王もまた道を踏み外しました。しかし踏み外した先もまた仏の道であるならば、憎悪に駆られ闘争に生きる阿修羅王もまた依然阿弥陀如来の光明に包まれていた、ということを意味します。

 もはや闘争こそが生きる目的と化してしまったような阿修羅が、自らを省み、その心の執われに気づき、自縄自縛から解き放たれることはあり得るのでしょうか

 ここで注目したいのは『仏説阿弥陀経』流通分(最後の部分)です。ここでは序分(冒頭)に加えて釈尊の説法を聞いた人々に言及されるのですが、何と阿修羅も聴衆の一人として説法の場にいたのです。

 舍利弗 及諸比丘 一切世間 天人阿修羅等 聞佛所說 歡喜信受 作禮而去

 阿弥陀経で釈尊は阿弥陀仏がどのようなみ仏でいらっしゃるか、また極楽とはどのような世界であるか、名号(南無阿弥陀仏) を聞き往生成仏することのいかに大切であるかを説かれます。

 仏を敬い、この説法を聞き信じて(信受)喜んだ(歓喜)者は、即時に迷いの因縁が断たれ、阿弥陀如来のすくい取って決して捨てぬ力によって往生成仏することが決定します。であるからには聞法した阿修羅王もまた仏と成ったはずです。。

 阿修羅王は阿弥陀如来のおすくいに遇い、終わりなき闘争の因縁を完全に断ち切られたのです

((「地獄」7/7(後)に続く)

(脚注)

※1、本願 The Primal Vow(『仏説無量寿経 The Amitayus Sutra』阿弥陀仏の四十八願 Amida Buddha’s great forty-eight vows、特に第18願 The eighteenth vow)に誓われたすくいの目当てたる「十方衆生 All sentient living beings」に示されている。阿弥陀仏は本願に「それが完成しなければ仏にならない」という誓い The vows to be fulfilledを伴っているため、すでに十劫の昔に仏と成られていることから and he attained Buddhahood ten cosmic ages ago、「十方衆生」がすくわれることは決定している meaning that all sentient beings going to be saved、という結論となる。

※2、『仏説阿弥陀経 The Amitabha Sutra』に「彼仏光明無量 照十方国 無所障碍 是故号為阿弥陀 又舎利弗 彼仏寿命 及其人民 無料無辺 阿僧祇劫 故名阿弥陀(その仏の光明には限りがなく The buddha has amitabha the measureless light、すべての国々を照らして何ものにもさまたげられることがない。それで阿弥陀と申しあげるのである。また舎利弗よ、その仏の寿命とその国の人々の寿命もともに限りがなく The buddha has amitayus the measureless life、実にはかり知れないほど長い。それで阿弥陀と申しあげるのである So we call him Amida)」とある。

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